大阪・琴平に存在した貴重なパノラマ館の資料を通じて、明治期に日本各地で流行した円形画廊の秘密に迫る。セダンの戦闘を描いた壮大なパノラマから、ヨーロッパの風景まで、360度を包み込む没入的な体験がどのように実現されていたのか。当時の人々を圧倒した視覚技術と建築設計の妙、そして国際的なパノラマ文化の流れを、実物資料の詳細な検証を通じて解き明かす。
資料の紹介と初期検証
では、いきましょうか。大阪・セダン、それから琴平と書かれたパノラマのフォルダーを持ってきました。「大阪市難波新地」と書いてあるので大阪のものだとわかります。「大阪パノラマ館」となっていますね。
まずざっと見てみましょう。これはパノラマ館の図会の典型的なタイプです。パノラマの外観を描き、そのパノラマから見える景色をざっと紹介するというやり方のものです。
こちらも同じタイプですね。これは面白い——金毘羅山のパノラマです。金毘羅の景色をパノラマ風に描いたもの。そしてこちらの金毘羅パノラマ館のものは、平壌の日清戦争か日露戦争のパノラマではないかと思います。
これはパリ万博ですね。
本当だ、「L'Exposition de Paris」とあるから1900年のパリ万博でしょう。それから伊勢の山田下宮前にもパノラマ館があったようで、珍しいものをお持ちですね。こちらは日清戦争を描いた京都のパノラマ館のもの。ほかにもビラなどいろいろあります。地方にあったパノラマの資料がこれだけ揃っているのは、かなり貴重だと思います。
セダンのパノラマ解説図の詳細分析
前田愛も論じているセダンのパノラマの解説図——つまりお土産用の版画ですね。セダンのパノラマの外観図が挿入されています。パノラマ館というのは基本的に、一度入ると中央に廊下があり、中央の螺旋階段を登ると丸いプラットフォームに出ます。
ここがそのプラットフォームです。見物人がここに並んで、周囲の景色を眺めている。これが描かれた周りの景色で、多少誇張されているかもしれません。
実際には壁に絵が一面に貼ってあるわけです。セダンの場合は、壁とプラットフォームの間に生き人形などを置いて立体的に見せ、それがだんだん遠ざかるにつれて絵に吸い込まれていく——そういう構成になっていたのではないかと思います。
ここに描かれている絵と生き人形や模型はシームレスに、つなぎ目なしで描かれていますが、実際はこの遠景は全部ただの絵なんですね。ところがプラットフォームに立った人から見ると、それが奥行きを持って広がっているように見えて圧倒される。
パノラマの没入体験と建築設計の工夫
実際に行ってみるとわかるんですが、説明だけ聞くと「人形が絵とこちらの間にあって、絵が描いてあるだけか」と思われるかもしれません。しかし三百六十度に包まれると、本当に景色に吸い込まれるような感覚があります。
パノラマには自然光を上から取り入れるんですが、日光が直接入るとそれが外からの光だとわかってしまうので、プラットフォームの上に大屋根をつけるのが常套手段です。その屋根がこの図にも描いてあります。というわけで、セダンのパノラマとはこういうものだったのだということが、かなり真に迫ってわかる資料です。
見終わった人たちが集まって話ができるサロンのような場所もあったのでしょうか。
この図を見ると、一階にそういうサロンがあったのかもしれませんね。あってもおかしくない。
臨場感の創出と現代技術との比較
面白いのは、没入感やイマーシブな体験——現代ならヘッドマウントディスプレイをつけてVR世界に入るようなものを、ディスプレイ装置なしで体感できるという点ですね。
当時、「臨場感」というのが非常に大事なキーワードでした。その場にいるという感覚のために、壁の絵もただの景色を描くのではなく、プラットフォームから見て距離の遠近が正しく感じられるよう、景色のサイズが精密に計算されていたんです。
景色とプラットフォームの間に置く人形の配置も、どこに何を置けば一番シームレスになるかが計算されていました。特に絵と人形やランドスケープのつなぎ目——砂の質感を合わせたり、木を植えて遮蔽したり——そういう細部を非常に凝って作り込んでいたんです。
現代の技術で、VRではなく物理的なレイアウトで同じようなパノラマ体験を作っている施設はあるんですか?
ないと思いますね。十数年前、スイスの万博で、昔のパノラマを二階に、現代技術で作ったパノラマを一階にインストールしてあったんですが、圧倒的に昔のパノラマの方が素晴らしかった。
一階の現代版は、三百六十度カメラで撮った映像を円形に映し出しただけで、真ん中にいる人からリアルな大きさで見えるかどうかの計算をしていない。だから全然没入できないんです。一方、昔の絵はちゃんとプラットフォームの中央から見たときに正しいサイズで景色が見えるように描かれていた。現場の設計に合わせて作られていたわけです。
もちろん、そこまで考えて作り込めば現代の技術でも十分再現できます。しかし今パノラマ体験を作ろうとする人が、その設計に何が必要かを知らないので、うまくいっていないんですね。ヘッドマウントディスプレイをつけていないからこそ——目の前のものがリアルな近さとして感じられる。デバイスなしで頭の方がイリュージョンにチューニングされてしまうわけです。
パノラマ館の構造と観覧体験の設計
この図では、中央の螺旋階段を登ったようには見えないんですが。
これはプラットフォームの端が見えているんですね。この辺りに螺旋階段で登ってくるところがあります。皆さんここから登ってきて、この縁に立って眺める。上に出ると、ジオラマのようになっていて、建物から入って中央の螺旋階段を登り、外のような雰囲気の場所に出る——実はそこが作り込まれたステージだということです。
よくできているのは、廊下や螺旋階段がかなり暗かったらしいんです。萩原朔太郎が東京でパノラマを見た体験を書いていますが、前の人がどこにいるかわからないくらい暗くて、なぜこんな暗い所をぞろぞろ歩くのだろうと思っていたのに、階段を登ってパッと出ると急に明るくなる。それでやられてしまう。
異世界に出たような感覚ですね。昔の見世物はそういうところがよくできている。
現存するパノラマ館にも、そういう暗い通路があるんですか?
今はそこまで暗くはないですね。ヨーロッパには19世紀のパノラマを修復したものがいくつか残っていますが、怪我をしないよう明るく照らしてあります。ただ、いい場所はあります。オランダのスヘフェニンゲンにあるパノラマ・メスダッハは、ひなびた漁村の景色だけが描かれていて、とてもいい。穏やかで美しい場所です。
パノラマ館の普及と一般庶民への影響
当時は一般庶民でも入れたんですか?
もちろん入れました。最先端の見世物ということで、上野にも浅草にもあったし、大阪にも琴平にもあった。出来不出来はいろいろあったと思いますが、優れた絵師が描いたものは、本物かと思うような景色だったそうです。
大阪のセダンパノラマと国威発揚
ちなみにこれは、どこの景色が描かれているんですか?
下にドイツ語で記されていますね。
セダンという場所ではないかと思います。この時期は国威発揚の内容が多く、戦争のパノラマが主流でした。これもおそらくどこかの戦場を描いたものでしょう。
ヨーロッパでも国民の啓蒙や国威発揚の意味合いがあったんですね。
この時期は戦争また戦争です。たとえばベルギーにはワーテルローの戦いのパノラマがあります。ナポレオン軍に敵が迫ってくるところが三百六十度に広がっていて、もう負けるしかないという迫力なんです。 ポーランドにも農民蜂起を描いたパノラマがありますし、スイスのルツェルンには赤十字が負傷者を救助する場面のパノラマもある。
観客に銃を向けている兵士の生き人形が置いてあったりすると、本当に怖い。そういう迫力がパノラマにはあったんです。
パノラマとプロパガンダ:国民への影響と戦争理解
経営者は民間なんでしょうけれど、政府のプロパガンダ的な国威発揚の意味合いもあったんですね。
そうですね。最初は大盛況でそれなりに儲かったのだと思います。銃後の人々にとって、戦争とはどういうものかを目の当たりにしたいという欲求があった。日清戦争のパノラマを見に行くと、「うちの夫はこんなところで戦っているのか」ということが真に迫ってわかる。国威発揚と言いますが、もっと言えば、国民に戦場とはどういう場所かを知らしめるという目的もあったのでしょう。
大阪パノラマ館:セダン戦争の描写
戦争をどう感じ取らせるかというのは諸刃の剣ですよね。国としても、みんなが怖気づいて「こんな所に行きたくない」となったら逆効果になりかねない。
国民を引き締める——無駄遣いをやめなさい、供出しなければ——という効果もあったのでしょうね。
大阪のパノラマもやはり「セダンの大戦争」が画題でした。セダンの戦争が人気テーマだったんですね。その戦争がどう描かれていたのかがわかるので、話の続きとして見てみましょう。同じ画題のパノラマがヨーロッパから輸入されていたという点も興味深いですから。
セダン戦争解説図の構成と読み方
こちらが大阪の難波新地にあったパノラマ館の図会です。このパノラマ館が何をどういうふうに見せていたかについて資料は多くないのですが、これはその様子がわかる非常に貴重な資料だと思います。
明治二十四年とありますので、上野・浅草のパノラマ館が建ってから程なく、大阪にも同じようなものが建ったことがわかります。 画題はセダンのパノラマ——つまり普仏戦争の舞台となったセダンの戦いを描いたパノラマです。上野で最初に見せたパノラマもアメリカから輸入したものだったので、これも輸入物かもしれません。
「米国自負とし画伯による」と記してありますね。
さすが、記事に書いてある。いろいろ書かれていますが、「鉄道にそいたる街道を南に向かう徐行するは仏軍の降伏兵なり」というように、一つ一つに線が引いてあって、どこに何が描かれているかが一目でわかるようになっています。
この図を見ると、外周の部分が絵ですね。こういうふうに壁面に絵が描かれていた。ここがプラットフォームで、ここに人が立つわけです。人が立っているすぐそばに木が植えてある。これはプラットフォームの土台が見えると興を削ぐので、その土台を隠すように周りに木を茂らせ、その向こうに街道が見えたり、煙が上がっていたりする景色を演出していたんですね。
どのあたりから壁画になるんでしょうか。
それがわかりにくい。もしかしたらこの辺は全部絵で、その前に木を植えていたのかもしれません。日露戦争のパノラマでは生き人形を配置してバーチャルリアリティ感を高めていたので、ここでもそうだった可能性があります。
異時同図の表現と弁士による解説
面白いのは、ある瞬間のスナップショットではなく、いろんな事件が同じ図の中に描き込まれている「異時同図」の表現になっている点ですね。
そうなんです。考えてみれば、三百六十度を一度に見るわけではなく、ある方角を見ると一つの場面が見える。おそらく弁士がいて、上野・浅草でもそういう人がいたという記録があります。パノラマ館で指示棒をさしながら「あちらに見えますのはセダンのなんとかでございます」「今度は東北の方をご覧ください、街道を退却するフランス軍がご覧いただけます」と——まるでバスガイドのように案内していたのでしょう。
浅草のパノラマは南北戦争が題材でしたか。
南北戦争は1860年代ですからね。いずれにせよ、昔は戦争が起こるとその戦争を描く「戦争画家」がこうしたパノラマ画を制作していたんです。
パノラマのお土産とメディア戦略
これはお土産品ですかね。
お土産だと思います。「定価金二銭なり」と書いてあります。
パノラマ体験は持ち帰れないから、こういうものを買って帰って人に話したり、記憶を留めたりしていたんですね。
そうすると、それを見た人がまた行きたくなる。宣伝の役割も果たしていたわけですね。
右回りの観覧順序:タイムラインとしての構成
パノラマの見方も指南してあって、観覧の順番として「但し右回り」と書かれています。観客はまず階段から出たところの前面——東の方を向いて山脈を見て、それから東南から西北に連なる風景を見ていく。
確かに番号が右回りにインクリメントしていきますね。
これは単なる交通整理ではなく、順番を意識した絵になっているんですか。
おそらくそうです。この順番で見ていくと、フランス軍とドイツ軍が直接対戦している場面が次第に見えてきて、大いに興奮するという構成になっている。
タイムラインになっているんですね。
パノラマ館にタイムラインがあるとは思っていませんでした。面白いですね。
こういうことが大阪で行われていたということです。
壁画の輸入と国際的な制作
先ほど「輸入された」とおっしゃっていましたが、壁画を物理的に持ってきたということなんですか?
キャンバスに描かれた絵ですから、巻いて運べるんです。
大変だったようですけどね。今でも靖国神社の遊就館に昔のパノラマが残っていて、五姓田一家が描いたものなどがあります。巨大な巻物のようになっている。当時は油絵をキャンバスに貼り出しているだけなので、重さで剥がれてきたりして修復が大変だったという記録が残っています。
パノラマのジャーナリズム的役割と大衆化
ジャーナリズムとしての役割もあったわけですよね。「こういうことが起きたんだ」ということを伝える。
しかもただ絵解きで見せるだけではなく、「そこにいるとこういう感じがした」という感覚を体感させたところが、パノラマのすごいところです。
戦争以外の人気テーマはあったんですか?
先ほど少し触れましたが、オランダのスヘフェニンゲンのパノラマは漁村の風景を描いただけで、非常に穏やかな空間です。「ここにずっといたい」と感じさせる。戦争パノラマはだんだん息苦しくなってきて、自分が攻め込まれているような気がしてくるんですが、あそこは違う。スイスのトゥーンにも、街並みだけを描いたパノラマがあります。戦禍を受けていない町なので、現在も同じような街並みが残っていて、非常に穏やかなパノラマです。
それでも、より多く制作されたのはやはり戦争パノラマだったんですね。
19世紀末から20世紀にかけて、中国でも抗日パノラマが盛んに作られるようになります。プロパガンダの道具としてパノラマはずっと使われ続けた。大量の来場者を一度に動員できるので効率がいいんですね。
しかし草原先生がこうしたものに魅せられたのは、やはりパノラマの場に身を置くと自分がどこにいるのかわからなくなる——そういうイリュージョンの力が非常に強い空間だったからだと思います。それをレンズもCGも使わず、絵と人形と建築の構成だけで実現していたというのが、やはりすごいことだと思いますね。
資料の学術的価値と今後の展開
それにしても、上野・浅草の図会を持っている人は結構いますが、こうした地方のものをこまめに集めておられるのはやはりすごい。私だったら、このパノラマのファイルだけでひとつ展覧会ができます。さっきのドイツで発行されたセダンのパノラマ図会と、大阪に輸入された同じパノラマの図会を並べて比較すると、面白さがさらに増すでしょう。先ほどの図はプラットフォームにいる人の感覚で描かれていましたが、こちらは設計図のような俯瞰図になっています。
日本のパノラマ館はそんなに大きくはないですよね。
輸入するとなると、もとの設計と同じ規模にしないと景色のサイズが狂ってしまうので、おそらくそれなりの規模はあったと思います。広い土地が必要ですね。
先ほどの図の比較だけでも面白いですよね。パースペクティブの効いた円形の見せ方が、日本のオーディエンスにはどう受け止められたのか。
こういう俯瞰図をどうやって描いたのかも興味深い。円筒形の鏡を中央に置いて描いたのかもしれません。こうした図を描くのが上手い人は当時たくさんいたのでしょうが、よく考えると、これは単なる遠近法ではなく消失点がいくつもある描き方なので、相当なコツが必要です。それぞれが不自然に歪んでいるわけでもないので、解説用に巧みに描き直されているんですね。
この解説図の絵を描いたのは日本人なのか、もとの図を模写したのか気になりますね。
漢字で解説が入っているので日本でリライトされたことは確かですが、もとの図があったのかもしれません。ここに「ルイス・フローン、アウグスト・ローアルという二人の絵師がセダンの大戦争を描いた」と書いてあります。やはり原画があるということですね。模写するのは大変ですから、おそらく原画をそのまま持ってきたのではないかと思います。
パノラマ体験の根本的な価値
最後に一言お願いします。
やっぱりパノラマはいいですね。身体ごと包み込まれるという体験がいい。
今回は、セダンの戦争というモチーフを、大阪とベルリンのパノラマ図会で比較するという趣向でしたが、パノラマとは一体何だったのかということを深く教えていただきました。もし次回があるとしたら、どのような資料について語りたいですか?
上野・浅草だけで黒いファイルが一冊ありましたので、たくさんのバージョンがあると思います。それらを比較してみるのも面白いのではないかと思いました。
ぜひまた次回よろしくお願いします。細馬先生、ありがとうございました。