明治後期、灯油ランプで光を灯す日本製の幻燈機——それは西洋の技術と日本の美学が交差する貴重な遺産である。草原真知子が1990年代後期に京都の古美術店で見出したこの一台は、コレクションの中でも特別な位置を占めている。購入の場に立ち会ったErkki Huhtamo氏は、他に類を見ないその造形と機能美に魅了された。西洋から流入した映像技術が日本の職人技と融合し、独自の進化を遂げた時代を象徴するこの幻燈機について、メディア考古学の第一人者が語る。

草原真知子コレクションの日本製幻燈機(明治後期)。灯油ランプを光源とする、現存する唯一の型
草原真知子コレクションの日本製幻燈機(明治後期)。灯油ランプを光源とする、現存する唯一の型

ドミニク・チェン(00:03)

本日は草原真知子さんのお部屋での初めての撮影です。一つのアイテムを選んでいただき、そのアイテムにまつわるエピソードや歴史的背景について解説していただきたいと思います。エルキ先生が選ばれたのは日本の幻燈機ですね。それでは、よろしくお願いいたします。

Erkki Huhtamo(00:50)

この資料についてお話しする機会をいただき、ありがとうございます。この幻燈機は草原コレクションにおいて非常に特別な位置を占めています。というのも、草原さんが購入した日本の幻燈機の中で、おそらく最初の一台だからです。実は、購入の際に私も立ち会っていました。1990年代後期のことで、京都の古美術店のライト商會という伝統ある店で、今日も同じ場所にあります。店内は品物であふれていましたが、この幻燈機は棚の上に置かれていました。近くにはもう一台、より不完全な日本製幻燈機もありましたが、草原さんが惹かれたのはこちらでした。それも当然で、これは実に興味深い幻燈機です。私の知る限り、このスタイルと形態の幻燈機で現存するものは、これ一台だけです。

幻燈機に添えられたラベル。京都のライト商會で1990年代後期に草原真知子が発見、Erkki Huhtamoが立ち会った旨が記されている
幻燈機に添えられたラベル。京都のライト商會で1990年代後期に草原真知子が発見、Erkki Huhtamoが立ち会った旨が記されている

この幻燈機の正確な製造年は定かではありませんが、明治時代、おそらく19世紀の終わり頃——明治後期のものだと考えています。灯油ランプを光源とする幻燈機で、灯油(ケロシン)ランプの技術自体はヨーロッパで1860年代頃に登場したものです。この幻燈機は明らかにそうした灯油ランプ用に設計されているため、明治以前のものではあり得ません。私の推定では、1880年から1900年の間に製造されたものでしょう。

Erkki Huhtamo(06:21)

日本では、この幻燈機が使われていた時代にはすでに幻燈機上演の長い歴史がありました。とりわけ「うつし絵」と呼ばれる上演は非常に独特なものでした。少し説明させてください。うつし絵は18世紀後期に人気を博し始めました。日本の視覚的物語の伝統と、影絵劇の要素が組み合わさったもので、おそらくオランダ経由で伝わった西洋の幻燈機からの影響もあったでしょう。しかし、日本人はうつし絵において非常に独自の形式を生み出しました。桐(きり)のような非常に軽い木材を使い、手持ちで操作する幻燈機でした。シンプルな油ランプを光源とし、スクリーンの裏側から投影して、日本の大衆文化や神話にまつわる物語を語りました。このような幻燈文化はヨーロッパや他の地域のものとは大きく異なっていました。しかし、ここで見ているこの幻燈機は、そうした伝統とは別の、明治時代の新たな展開に属するものです。

明治維新によって門戸が開かれると、外国の物品や映像技術が日本に流入し始めました。イギリスやフランス、さらにはアメリカの幻燈機が入ってきたのです。やがて日本の職人たちは——これは日本の典型的なやり方ですが——輸入された幻燈機やスライドを研究し、自分たちの幻燈機を製作し始めました。その際、日本独自の美学と、国内で入手しやすい材料を用いています。西洋では真鍮が一般的でしたが、日本では銅がよく使われました。また、輸入品の缶や容器からリサイクルした薄い金属板を使うこともありました。これは非常に興味深い文化的ハイブリッドの実例です。

幻燈機の側面。レンズ筒と装飾的な真鍮パネルが見える
幻燈機の側面。レンズ筒と装飾的な真鍮パネルが見える
反対側から見た幻燈機。煙突とレンズ筒の構造
反対側から見た幻燈機。煙突とレンズ筒の構造

日本の伝統的な幻燈文化であるうつし絵は依然として人気がありましたが、それと並行して新たなタイプの幻燈機上演も定着していきました。講演会や教育目的のもの、仏教のスライドセットなど宗教的なもの、そして娯楽のためのものです。こうして日本には基本的に二つの幻燈文化が併存していました。さらに第三の潮流として、比較的裕福な家庭では、親子で楽しむ家庭内の娯楽として小型で軽量の幻燈機を使い始めていました。これは同時代の西洋世界でも見られた現象です。

この幻燈機が興味深いのは、西洋の幻燈機と共通する特徴と独自の特徴が併存しているからです。まず共通する点として、高さを調整できる煙突を備えた灯油バーナーがあります。煙突の高さを変えることで、炎が均一に燃えるようにドラフト(通気)を調整できます。この操作は上演中にも行われました。背面にはリフレクター(反射鏡)があり、バーナー内の平芯から発せられる光を集光レンズと対物レンズへ向けるために必要です。内部には油タンクの調整ノブも見えます。灯油はバーナー下部のタンクに貯蔵されています。西洋でも同様のバーナーが使われていました。ここに明治文化の特質が表れています——西洋からの技術を受容しつつ、日本の文化に適応させているのです。

Erkki Huhtamo(11:10)

この幻燈機で特に興味深いのは、側面に施された装飾的な開口部です。これは非常に特殊な意匠で、日本に限らず他の国の幻燈機でもこのような開口部を見たことがありません。これが純粋に装飾的なもの——見た目を華やかにするための伝統的な装飾——なのか、それとも機能的なものなのか。私は機能的な側面があると考えています。バーナーは当然ながら熱を生じますので、その放熱システムが必要です。煙は上部の煙突から排出されますが、側面の開口部は通気孔として機体の冷却を助けています。つまりこれらの開口部は、装飾としてこの幻燈機に独特の個性を与えつつ、実用的な冷却機能も兼ね備えているのです。

側面の真鍮装飾パネル。唐草文様の透かし彫りが冷却用通気孔も兼ねている
側面の真鍮装飾パネル。唐草文様の透かし彫りが冷却用通気孔も兼ねている
本体下部の通気孔。装飾性と放熱機能を両立した設計
本体下部の通気孔。装飾性と放熱機能を両立した設計

前面にはレンズ筒があり、先端にはフォーカスノブが付いています。これは西洋の幻燈機でも一般的な特徴です。本体とレンズの間には円錐形の遮光部があり、光線を集中させて側面への漏れを防ぐ役割を果たしています。この種の幻燈機は非常に明るい光を出せるわけではなかったため、光線をできる限り効率よく集めることが、スクリーン上に鮮明な像を得るうえで極めて重要でした。

本体とレンズの間には、スライドステージ(種板台)も設けられています。種板(スライド)を一枚ずつ挿入し、投影するための機構です。このスライドステージは銅製と思われます。日本では銅が真鍮よりも入手しやすかったようです。ここで使われる種板は、手描きのうつし絵スライドとは異なり、西洋式のガラススライドに近いものでした。この幻燈機では、正方形のガラススライドを一枚ずつ挿入します。 スライドステージには二つのポジションがあり、交互にスライドを差し替えることで、途切れなく上演を続けることができます。

レンズ筒の先端。フォーカスノブで焦点距離を調整する
レンズ筒の先端。フォーカスノブで焦点距離を調整する
スライドステージ(種板台)。二つのポジションにスライドを交互に挿入できる
スライドステージ(種板台)。二つのポジションにスライドを交互に挿入できる

Erkki Huhtamo(16:09)

この種の幻燈機のスライドは手彩色されることが多いですが、製造工程自体は写真技術に基づいています。原画や写真をガラスネガに撮影し、そこからポジのガラススライドを焼き付けます。こうして作られたスライドに手で彩色を施し、より鮮やかな表現を実現するのです。旅行記や衛生教育といった教育用スライドにも、娯楽用スライドにもこの手法が用いられました。西洋から輸入されたスライドも、この幻燈機で投影できる程度に規格が共通していました。西洋製スライドがどの程度使われていたかは不明ですが、草原コレクションが示すように、日本国内でもこの種の幻燈機用に多くのスライドが製造されていました。

明治から大正にかけての幻燈機文化は、日本において非常に活発で広く普及していたようです。多数の幻燈機が国内で製造されました。今日でも骨董市などで日本製の幻燈機がよく見つかりますが、それらは西洋のモデルを参考にしつつも日本で製作されたもので、西洋のものとは明らかに異なるデザインの特徴を持っています。この幻燈機を西洋のものと見間違えることは決してないでしょう。紛れもなく日本製でありながら、いくつかの共通する特徴も備えています。

もう一点指摘したいのは、この幻燈機が木製の台座の上に載っていることです。台座の前面に小さなノブが見えますが、これによって幻燈機をわずかに上向きに傾けることができます。投影角度を調整するために意図的に設計されたものです。興味深いことに、本来は後部にも同様のノブがあったと思われますが、紛失したか、あるいは意図的に取り外されたため、幻燈機はやや上向きの角度に固定された状態になっています。こうした細部から、この幻燈機が使われていた環境を推測する手がかりが得られます。

灯油バーナーの機構。平芯と調整ノブが見える
灯油バーナーの機構。平芯と調整ノブが見える
内部の反射鏡(リフレクター)。光を集光レンズへ向ける役割を果たす
内部の反射鏡(リフレクター)。光を集光レンズへ向ける役割を果たす

この幻燈機には具体的な来歴の記録は残されていません。しかし美しい造形で、丁寧に作られています。世界の幻燈機文化を見渡せば、互いに似通った幻燈機は数多くあります。しかしこの一台には、私がこれまでに見てきた数百、あるいは数千の幻燈機とは明確に一線を画す特徴があるのです。草原さんがこの幻燈機に惹かれた理由はよくわかります。特別であり、他とは異なっていたからこそ、心を奪われたのでしょう。この後、草原さんは多くの幻燈機を収集しましたが、これとまったく同じものは一台もありません。この幻燈機は、草原コレクションの中で常に私のお気に入りの一つです。

ドミニク・チェン(21:15)

解説をありがとうございます。お話を伺いながら、これはまさに現代のプロジェクターの祖先だと感じました。木製の台座に角度調整ノブがある構造は、現代のプロジェクターの底面から出てくる脚とよく似ていますし、レンズのフォーカスノブも現代のプロジェクターに通じるものがあります。ところで、先ほど比較的裕福な家庭での個人使用に言及されましたが、彼らが自分たちでスライドを制作し、家庭で楽しんでいた可能性はあるのでしょうか?

Erkki Huhtamo(21:28)

当時の日本の家庭で使われたスライドの大半は、工場で製造されたものだったと思います。銅版からガラスに輪郭を刻印し、時に彩色を施した比較的シンプルなスライドです。手作りのスライドというのは、一般に思われるより実現が難しいのです。特に彩色する場合、投影時の熱と光に耐えられるのは特定の種類の絵具だけですし、幻燈スライドを描く技術は専門的な訓練を要するものでした。一般家庭の人々が自分でスライドを制作していたとは考えにくく、草原コレクションの中にもそうした自作スライドはほとんど見当たりません。家庭で使われた小さなスライドも含め、ほとんどは店で購入したものだったでしょう。

ドミニク・チェン(29:43)

この質問をしたのは、1960〜70年代にビデオカメラが登場した際、前衛芸術家たちがその新しいメディアを使って実験を始めたことを思い出したからです。同じように、19世紀後期や20世紀初頭にも、教育目的ではなく芸術的な表現として、幻燈スライドを自ら制作しようとした実験的な人物がいたのではないかと想像していました。

Erkki Huhtamo(30:27)

非常に興味深い問いかけです。大正モダンの芸術家たちが幻燈スライドを自ら描いたり制作したりしていた可能性はあるでしょうか。当時の日本には多くの幻燈機があり、入手するのはそれほど困難ではなかったはずです。私自身はそうした芸術的なスライドの実例を見たことはありませんが、想像するだけでも魅力的です。20世紀初頭の日本の実験的な芸術家たちは、国際的に非常に洗練されていました。パリなどに滞在し、前衛芸術の最新動向を追っていた者も多くいます。しかし、幻燈機による上演や初期の映画上映は基本的に大衆文化の領域に属していました。この幻燈機が使われていた時代に、芸術家が自らスライドを制作して上演を行っていた例があるかどうかは、正直なところわかりません。1920年代に日本で非常に豊かだった前衛出版物を調査すれば、手がかりが見つかるかもしれません。1930年代初頭の満州事変が多くのことを変えてしまうまでの時期です。

ドミニク・チェン(32:26)

こうしたメディア考古学的な想像が広がるのは、この幻燈機が現代のプロジェクターやパソコンとの意外な共通点を持っているからだと思います。先ほど機能的と説明された側面の開口部は、現代の高性能パソコンのCPUやGPUを冷却するためのファンの構造を連想させます。内部の機構が見えるという点でも共通しています。最近の多くのパソコンケースは透明なサイドパネルを備えていますし、その意味で、100年以上前の幻燈機と現代のマシンとの間に不思議な類似性が見てとれます。

Erkki Huhtamo(33:34)

そういえば初期のiMacもまさにそうでした。アクリル樹脂の筐体を通して、内部をミニチュアの風景のように覗くことができた。あのiMacは、スクリーンの裏側にデータ技術の神秘的な世界が存在するという発想に基づいて設計されていて、側面や背面から中の構造を観察することができました。内部を「見せる」という設計思想が、100年以上の時を超えて共通しているのは興味深いですね。

幻燈機の背面全体像。煙突、反射鏡、灯油タンクの調整機構が見える
幻燈機の背面全体像。煙突、反射鏡、灯油タンクの調整機構が見える

ドミニク・チェン(34:12)

こうやって過去と現在をつなげて考えると、歴史のつながりが面白く感じられますね。これからも想像を膨らませ、研究を深めていくのが楽しみです。フータモ先生、どうもありがとうございました。この最初のセッションだけでもたくさんの素材が得られたと思います。

Erkki Huhtamo

こちらこそありがとうございました。またお話しましょう。